O.Messiaenは、「移調の限られた旋法第2旋法」(以下、「M.T.L第2旋法と略記」)に
ついて、自身の著作『わが音楽語法』(1944年)の中で、以下のように語っています。
“我々は既にその軌跡をリムスキー・コルサコフの《サドコ》の中に見つけ、
スクリャービンはそれを更に自覚的に使い、ラヴェルやストラヴィンスキーは一時的に
用いたが、それは控えめな下書きの状態に留まり、旋法的な効果は、
分類された音色(註:既存の機能和声の事か?)によって、更に若しくは減じてられて
抑えられている。“
(わたくしの2011年に行った稚訳の中から、引用して参りました…。)
即ち、〈リムスキー・コルサコフやスクリャービンらが一時的、あるいは偶発的に用いた
「M.T.L旋法」だが、メシアンはこうした音楽語法を初めて体系化した〉、というところは、
2011年の研究発表に向けて、私自身調査や翻訳が進んでいました。
にも拘らず様々妨害在り、満足な形での発表が行えなかったという事は、既述の通りです。
しかしながら2011年当時はここまでの理解でしたが、今般思うところは、
リムスキー・コルサコフやスクリャービン、ラヴェル、ストラヴィンスキーらのほかに
「リヒャルト・シュトラウスの或るリート」に「M.T.L旋法的響き」を感知できるのでは
ないかという事象に着目したところです。
今日は時間がもうありませんので、おいおい続きを書こうと思います。
Juia.T.A
Le 24 juin 2016 14h23
追伸: 5年前には、《Poemes pour mi》(1936)を視ていましたが、
今般、リヒャルト・シュトラウスの「或るリート」
(詳細は追って書きますが))と、この《Poemes pour mi》の
関連性について考えています。
Julia.T.A
Le 26 juin 2016 11h08