去る1月21日に、慶應の初回の試験を経験し終えました。
この回には「フランス語第一部」を受験し終え、次なる目標は、無論「フランス語第二部」へと突き進むと同時に、「地学」の習得に身を乗り出しています。
そこでは、最初に取り掛かった課題は、「系外惑星の探査方法」をレポートに挙げる事です。
こうした自然科学の課題を前にして思う事は、幼少期の父の存在です。彼は宇宙科学が好きで、よく幼少の私に画用紙に図を書いて、宇宙のあらましを説明してくれました。
また、台場にある「船の科学館」に連れて行ってくれた事もあり、子供にも解り易い模型などを観ては、とても楽しかった想い出があります。
そこで、自然科学の教科書の非常に淡々とした著述を読んでは、目頭が熱くなることがあります。
恐らく『ハーレークイン』などの小説を読んでも微動だにしないと思いますが、自然科学系で琴線に触れるとは、私も実に変わり者です。(笑)
更には、「系外惑星探査法」と言って真っ先に想起した物は、生前の父の最も好んだ映画『2001年宇宙の旅』でした。
この映画の日本での公開年から想定すると、恐らく父は現役の機械工学科の学生の頃でしょう。
その時代に「人工知能(HAL 9000)が制御する有人探査船(ディスカバリー号)にて、クルーが木星探査へ向かう」というストーリーは、まさしく画期的だった事でしょう。
私も近々実家を手放すという時期であるためか、とみに記憶の奥底にしまわれていた両親と過ごした幼少期の想い出が様々想起されてきていた昨今であったため、この映画を再び観たくなり、近所のTSUTAYAさんへと行ってきました。この作品の続編である『2010年宇宙の旅』と2本同時にレンタルするためにです。
初めて『2001年宇宙の旅』を観たのは、恐らく私は小学校高学年くらいの頃でしょう。
この時期には、もう私は作曲を専門として音大附属高校に進学することを決めており、この映画の見方も、音楽中心に見ていた記憶があります。
冒頭のR.シュトラウス作曲の交響詩《ツァラトゥストラはかく語りき》(1896)は、云わずと知れたこの作品のメルクマール的位置付けであることはもとより、映画途上の月面へのフライト中にキャビンアテンダントが宇宙食を運ぶシーンに流れるJ.シュトラウスの代表的な《ウィンナー・ワルツ》など、クラシック音楽と映像をふんだんに用いた映画の運びに、子供心に愉しく鑑賞していた記憶があります。
しかし今回「作曲科を卒業して大人になった私」の視点から観たこの映画での新たな発見は、リゲティの《レクイエム》の余りにも甚大なインパクトです。
動画は「現代人のもとで、初めて月面に〈モノリス(石板)〉が発見される」という大変重要なシーンの一つでしょうし、また物語が一気に展開するきっかけともなり、これを機にモノリスが木星に向けて電波を発している事を知ったため、人類初の木星への有人探査船を打ち上げる事となるという、劇的な発見のシーンでもあります。
小学生の頃の私は、てっきりこの映画のこの場面に合わせて、劇伴作曲家が新たに映画音楽を書き下ろしたのだと思っていました。私は将来作曲の仕事をするとしたら、この様な場面描写ができるようになるのかしら?と思いながら観ていた記憶があります。
しかしながら、これはジョルジュ・リゲティの《レクイエム》を、キューブリック監督がこのシーンにわざわざ選曲したのだという事を、つい最近知りました。
〈モノリス〉という未確認物体の神秘性、そして正体不明の不可思議さなどを映像と音楽で作り上げるのに、抜群のセンスでキューブリック監督はこの作品を選曲したように思い、50年前の映画とは思えない斬新さを感じました。
作品終盤には、暴走した人工知能HAL 9000により殺害されそうになったデーヴィッド・ボーマン船長は難を逃れて、HAL の電源を切断し、木星探査を続けるが、モノリスの先導する不可思議な世界へと吸収され、実態を持たない宇宙のエネルギーの一部となるという、またたいそう不可思議な終わり方をする映画で、この点は賛否両論別れた作品のようですね。
しかし、続編の『2010年宇宙の旅』(1984)では、何故HAL 9000が誤作動を始めたのか、モノリスとは何だったのかが解明されます。
この点も難解で幻想的な前作を好んだファンからは駄作扱いを受けた映画であるようですが、私はどちらも好きな映画で、今見ても胸が熱くなりました。
3日前の2月16日に両DVDを返却した際には、また感極まりそうになりました。
続編の『2010年…』のお話は、また記事を改めてお話ししたいと思います。
長文にお付き合い下さり、どうも有難うございました。
Julia.T.A
le 19 fev, 2018 17h05