日本独自の祝日の「こどもの日」に、或る事に想いを馳せています。
それはオリヴィエ・メシアンと一人息子パスカルの事です。
メシアンの生涯(1908-1992)は、決して穏やかなものではなかったでしょう。
青年時代に母を亡くしたメシアンのその後を、要約してお話ししますと、以下です。
クレール・デルヴォス(先妻、のちに死去)と結婚したメシアンは、
1937年(29歳)には息子パスカルが生まれ、当初は幸せな新婚生活が続いたのかも
知れません。
しかし1939年(31歳)には第二次世界大戦に徴兵されたのち、視力の弱さから戦場には
送られなかったものの、翌年にはナチスに捕えられ、捕虜として収容所へ送られる。
(この絶望の中、《時の終わりの為の四重奏曲》(1941)を収容所内で書き上げ、
監獄で初演し、大絶賛を得た。)
1941年5月には奇跡的に解放されるも、1945年(37歳)には
先妻クレール・デルヴォスの精神の病が進行し、精神病棟の入退院を繰り返すようになる。
メシアンは一人息子のパスカルを、男手一つで育てながら、パリ音楽院教授の職と
サント=トリニテ教会のオルガにストの職を勤め上げた。
その後もクレールの健康状態は快方に向かう事はなく、衰弱したクレールは1959年に死去。
その間、クレールの不治の病と幼い息子の将来への懸念は、終戦後も尚も
メシアンを苦悩させた事でしょう。
- そんな想いを馳せながら、私は息子パスカルへの想いの詰まった下記の作品を
夢想していました。
《Chant de terre et de ciel -大地と空の歌-》(1938)
No.4 Arc-en-ciel d’innocence -無邪気な虹-
(pour mon petit Pascal -我が小さな息子の為に-)
仏文テクストも、無論メシアン自身による創作です。
(邦訳は、「プライヴェート・モード」に書き記そうと思います。)
メシアンの妻と言えば、後妻のイヴォンヌ・ロリオ(1924-2010)(ピアニスト)は
夫の作品を世に発表する事に相当貢献したキャリア・ウーマン的女性で、こちらの方が
日本では知られているでしょう。
しかし「大戦」と「先妻の病」と「幼い時分の一人息子パスカルの事」は、
メシアンを識る上で、不可欠の歴史であるように認識しております。
当時幼かったパスカル・メシアン(1937-)も、現在では77歳、恐らくご存命でしょう。
こうして、日本人のアイデンティティーを持つ私は、我が国の祝日「こどもの日」に、
こうした一連の事に想いを馳せていたのでした。
赤坂樹里亜
Le 6 mai 2014 12h47