12月10日がやって参りました。今からお話しさせて頂きます事柄は、
2012年の現代から遡る事、104年前の出来事になります。
- 背景は、1908年12月10日フランス南部のアヴィニョン。
こちらに赴任していたシェイクスピア研究者でもあった英語教師の
ピエール・メシアンと、その妻、女流詩人のセシル・ソヴァージュとの間に
第一子が生まれました。長男はオリヴィエと名付けられます。
詩人セシルは子を受胎した時、既に子の将来の啓示を受け、
そのインスピレーションから詩集『芽生える魂』を著したという
良く知られたエピソードが在ります。
その詩集には、次のような一節が書き記されています。
「私は私の知らない遥かな音楽の故に痛む」と。
子を産む痛みは、即ち「誰も未だ聴いた事のない未知の音楽を生み出す事」に
直結すると、セシルは予見していたようです。
こうした文学一家に生まれたオリヴィエ・メシアン。
彼は詩的インスピレーション漂う家庭に育ちながら、やがて父親の異動により、
グルノーブルへと転居します。
ここでのドフィーネ・アルプスの豊かな自然はオリヴィエを魅了し、
且つプロヴァンス出身のセシルから受け継いだ「母の出生地」での輝く太陽、
そして野に咲く花々や野山の色彩に、大きく影響を受けながら、
のちのちの「色彩の音楽家」へと育ってゆく土壌が培われてゆくのでした。
そして父親からの影響も然りです。シェイクスピア研究を行っている父の姿を
見ながら、オリヴィエはその戯曲の登場人物や舞台装置の模型を
セロファンで作り、ガラス板に糊づけして立て、
セロファンを通して色付けされる照明の光陰を創り出し、
弟アラン・メシアンを唯一の観客に、こうした戯曲を朗唱して聞かせる
少年時代を送ります。
こうした中で、いよいよオリヴィエはその生涯の天職となる
音楽との遭遇を果たすことになるのです。
そのお話は次回に持ち越しと致しましょう。
先ずは、オリヴィエ・メシアン生誕104年を祝して、felicitations ! です。
赤坂樹里亜