【O.Messiaen: Trois petites liturgies de la presence divine
-神の顕在の三つの小典礼-】
この作品は、わたくし自身、Messiaen作品の中でも
最も好きな作品の中の一つです。
しかしながら1945年のParis初演当時には、
大きな論争を巻き起こした作品でもあります。
一説には「Messiaen自身によって書かれた『文学的テクスト』の神学的解釈が不純だ。」というもの、
一説には「リズムに於ける才能の欠如を誤魔化そうとしている。」というもの。
恐らくは「何かしらにつけてCritiqueを加えたかった輩」による
言い掛かりに過ぎないのでしょう。
しかしここで、かなり以前から調査したいと思っていた事柄について、
能動的に探ってみようという思いに動かされました。
それが「聖書学」の小研究です。
Messiaenのカトリック信仰を「偏向だ」と中傷した権威ある評論者による
「物言い」の内容について、正しく知るのは今だろうと思いました。
そういった背景から、去る2月より聖書の入門書を読むに至りました。
(個人的には、この作品はテクストの部分も非常に美しい仏語で書かれた
「文学的作品」だと感じております。仏語は兎角、書き手の教養の高低が
如実に現れる言語であると思われます。)
そして音楽の内容も、やはり秀逸でしょう。
特徴的なのは、ここでもMessiaenは作品に対する「色彩の指定」を
事細かに行っている事です。
これは初期の『Huit Preludes』(1928-1929)と同様です。
また、初期の作品には未だはっきりとは無かったであろう「不可逆行リズム」や、
インドのガムラン的な打楽器の用いられ方もあり、
また「M.T.L旋法」による多重旋法も洗い出せば出てくるのではないかと考えております。
今日はこの作品中の第3曲目(最終曲)
『Psalmodie de l’Ubiquie par amour –愛による神の遍在性の朗唱-』を
ご紹介したく存じます。
赤坂樹里亜