『三つの小典礼』の真ん中に当たる第2曲目です。
このサブタイトル『Sequence du Verbe, Cantique Divin』の邦訳は、
ほんの少し考えました。
たいてい『御言葉のシークエンス…』と訳されていますが、
それですと何か機械的で、直接的な意味が遠のいてしまいそうに感じ、
『御言葉の辞列…』と仮に考えているのですが、如何なのでしょう。
そして『御言葉の辞列』とだけあり、テクストにMessiaenは
「ヨハネの福音書」からの引用を行っているようです。
“Le Verbe etait en Dieu ― Et le Verbe etait Dieu”
― debutent l’Evangile selon saint Jean.
(「御言葉は神の内に在り、また御言葉は神だった。」
- ヨハネ福音書1章1節)
このくだりが権威ある評論家たちにこう言わせたのでしょうか?
「『ソロモン雅歌』や福音書や詩篇からの借用物を、
植物学や地理学や天文学などで侵し、形而上学的手法で
それらを音楽の領域に移すということは、信徒たちを誤らせる。」と。
(出典元『メシアン』 ピエール・マリ著 音楽之友社 1973/6/30
P165 L8-L10)
この作品のMessiaen自身によるテクストには、聖書からの引用が
他にも多々あるようです。
わたくしの手元に仏語の聖書もありますので、
こちらの方もじっくりと追ってゆきたく思います。
音楽の内容は、やはり「不可逆行リズム」あり、「インドのガムラン的打楽器」あり、
オンド・マルトノとチェレスタの相乗効果が抜群であり、
譜例を交えてお話できればよいのですが、今日はこのあたりで留めますね。
『三つの小典礼』中、最もフィナーレ風の楽想を持って、
神への賛美歌が朗々と、そしてきらびやかに歌い上げられ、
大きなムーブメントが形作られているのですね。
赤坂樹里亜