『ミの為の詩』全9曲の邦訳に、3日間のめり込んでおりました。
1936年(28歳)といいましたら、結婚4年目にして
「Jeune France(若きフランス)」を結成した年でもあり、
勢いに乗っていた時期だと、今までは個人的に考えておりました。
ところが、意外にも「苦難の時期」がもう始まっていたという事が
このテクストから読み取れ、胸が痛みました。
というのは、この先妻クレール・デルヴォスは、
この作品の書かれた9年後には精神錯乱の病から、
日に日に衰弱してゆき、更に結婚27年後には
その病の悪化によりその生涯を閉じた人です。
メシアンは第2次世界大戦が勃発しても、捕虜生活を送っても、
取り敢えずは希望を失わず生きていた様ですが、
この愛妻の精神の病による衰弱を日々見てゆく事だけは
何よりも耐え難かったと著述されていた事は、以前から存じておりました。
今回、この9曲のテクストを訳し、読解してゆく事により視えてきましたのは、
実はこの頃から既に、妻の精神の病の兆候が
首をもたげていたのではないかと解釈できる様な個所が散見された事です。
第4曲目『恐怖』では、以下のようなフレーズが在ります。
「君の想い出を土の中に埋めないでくれ、
君はそれらをもう思い起こしはしないだろうか」
何か、「結婚の27年後には愛妻は先立ち、埋葬されるのだ」という事実を
予見していたかのような詩に、胸が痛みました。
メシアンの一人息子のパスカルも、先妻クレールとの間の子であり、
(1937:メシアン29歳の年に誕生。)
結婚当初は息子と3人幸せに暮らしていたものと思っておりましたが、
もう病魔がクレールを支配していたのでしょうか。
先妻「ミ(クレールの愛称)」に対する溢れる愛情と、彼女をむしばむ病に苦悩する
メシアンの葛藤が、この9曲には詰まっていました。
19歳の頃にお母様を亡くされたメシアンが、5年後の結婚でも
尚、苦悩する様子に、個人的には非常に琴線に触れました。
その7年後には『神の顕在の三つの小典礼』が書かれ、
ポジティブに「神の顕在性」を詠い上げたのは、
こうした苦悩を乗り越えたからでしょうか?
7年後の『三つの小典礼』に繋がってゆくこの作品も、
メシアンの歩んできた軌跡です。
今回、テクストを読んでゆく事ができ、様々を感じる事ができ、
『三つの小典礼』の読解に為になる事を積み上げてゆく事が出来た事を
感謝すると共に、メシアン、クレール夫妻に
合掌したく思います。
赤坂樹里亜
Le 7 Juillet 2013 11h54