《Harawi》(1945)が「愛と死の歌」とのサブタイトルを持つのに対し、
比較的初期(1928-1930代)の作品にも、「死」を扱った作品が散見されます。
それは恐らく、Messiaen氏19歳の頃にお母様を亡くした事の影響が
大きいのではないかと憶測しております。
この初期の歌曲《La mort du nombre》(1930)も然りでしょう。
氏は22歳の頃の作品です。
同年作曲の《Trois melodies (三つの歌)- Pour Sop. et Pf.-》(1930)
(* 記録には年月日まで入っておりませんが、恐らくこちらの方が
先の作曲日時だと思われます。)同様に、初期作品は
何処となくDebussyの影響を感じさせながらも、死の痛みを伴う様にも思われます。
そしてこのタイトルの《La mort du nombre》ですが、
邦訳の幾つかは《数の死》と在りますが、《多くの死》とするのが
間尺に合うのではないかと考えています。
テクスト創作も、やはりMessiaen自身によるものです。
こちらの作品も、時間が在れば精査してみたく思うのですが、
なかなか今はスケジュールが取れません。
今年中の課題としたいと思います。
追伸: 《Harawi》(1945)は先妻Claire Delbosの死を予感した際の
作品と思われるものに対し、初期の1928-1930年代における「死を扱った」作品は、
氏のお母様の詩人であるCecile Sauvage(1883-1927)の死の影響なのでしょう。
赤坂樹里亜
Le 31 Aout 2013 15h09