私は滅多に演奏会に赴いた際の雑感は、こうした場には書かない人です。
関係者が見ていても嫌ですし、余計な事を書いても嫌ですので。
しかし今日は例外的に、自己の内面に湧いてきたところを少々綴ろうかと
思います。
というのは、去る1月21日(土)に、かつしかシンフォニーヒルズへ
《時の終わりの四重奏曲》(1940)を聴きに行った際に感じた事です。
目当ては上記の作品、しかしながら私の耳に意外な形で止まったのは、
オープニング第一曲目の《主題と変奏》、比較的初期のMessiaen24歳時の作品です。
普段の様なCD音源でなく生演奏を拝聴するに当たり、存外に「M.T.L旋法」の
色彩感漂う音の運びに、意外な側面を改めて客席で感じた様に思いました。
この24歳のMessianは、どの様に暮らしていたでしょうか。
実は「最初の結婚をしたメモリアルな年」と分類できるのではないでしょうか。
その初婚の妻こそ、ヴァイオリニストのクレール・デルヴォス(1906-59)その人であり、
上記作品《主題と変奏》は、初婚の妻クレールに捧げられた作品でもあります。
日頃、Messiaenの妻といったら、真っ先にピアニストの
イヴォンヌ・ロリオ(1924-2010)が想起されるのではないでしょうか。
しかしながら、彼女は後妻であり、元は先妻と既婚中のMessiaenのパリ音楽院の
教え子でもあります。
イヴォンヌは教え子時代から、様々なMessiaen作品の初演を担うなど、
氏の作曲家活動を大きく支援し、且つ世に広めた立役者でもあります。
一方で、クレールは第二次世界大戦勃発時から、精神の病に苦しみ、
不幸な亡くなり方をしています。
こうした先妻クレールの記録を調べても、多くの事は葬られている様に感じます。
後妻のイヴォンヌの華々しい活躍にかき消された、影の先妻となっているのです。
「クレール(光という意)という名の、影の先妻」とは、実に気の毒な
身の上でもありましょう。
新婚当時のMessiaenは、クレールを愛称「ミ」と呼び、愛おしく思っており、
Sop.のための歌曲《ミのための歌》(1936)では、愛妻が徐々に病に侵されてゆく様に、
大きな苦悩を抱えている氏の姿が投影されている作品といえるでしょう。
Messiaenの一人息子パスカルも、後妻イヴォンヌでなく先妻クレールとの間に
もうけられた子息です。
クレールの精神病院入院中は、Messiaenが男手一つで愛息子を育て、
同じくSop.のための歌曲《大地と空の歌》(1938)の自作テクスト内には、
愛息子パスカルへの愛が多々語られています。
しかしながら、日本で大きくMessiaenの名を知らしめたのは、思うに1962年
来日の際の《トゥーランがリラ交響曲》(1946-48)や、《アーメンの幻影》(1943)を
上演したN響公演が大きかったのではないかと、個人的には憶測しております。
上記2作品のピアニストは、無論イヴォンヌが務めています。
そうした一連の諸々の想い、心のおののきを、私は去る1月21日の、
かつしかシンフォニーヒルズの客席にて想起していました。
- 華々しい歴史に埋没して、最後まで夫に添い遂げられなかった先妻のクレール・デルヴォス。
彼女に捧げられた《主題と変奏》は、若々しいMessiaenの瑞々しい色彩感と共に、
深淵に舞台から楽音が注ぎ込まれてきます。
Messiaen作品中には決して多くは存在しない「先妻クレールに捧げられた室内楽作品」、
この作品を、再度味わって自宅で回想しようと、帰途に就いたものでした。
Julia.T.A
le 24 jan. 2017 18h15