日本でも街中のそこかしこにXmasの祝賀ムードが漂う昨今、111年前の1908年の12月10日とは、まさしくOlivier Messiaenがアヴィニヨンにてこの世に生を受けたその日です。
私事ですが、111年目のこの日は慶應三田キャンパスに於ける「音楽史」の藤井孝一先生の講義にて、「日本におけるO.Messiaenの受容は1951年であった事」を再確認した日でした。
まさに68年かけて私たち現代人は、O.Messiaenの軌跡を追い、作品研究を熟成させるよう試み、その上、更なるアプローチを志向しているさなかという訳です。
O.Messiaenが逝去したのは、私の音楽高校在学中でしたが、日本に於けるO.Messiaen受容そのものは、私の生まれる数十年前に遡り、先の大戦直後の混沌とした時代だったのでしょう。
そのようなご時世から、既にO.Messiaenという作曲家は先達らによって脈々と研究され続け、更にはそのムーブメントの延長線上に、私も参入させて頂けている事に、今一度感慨深く想いを馳せているところです。
改めまして、Olivier Messiaenをこの世に産み出して下さった御母堂にして詩人のCécile Sauvage(1883-1927)の詩集『芽生える魂』の中の一編、
「私は、私の知らないはるかな音楽のために痛む」、
即ち「これから生まれてくるわが子が、20世紀を代表する大作曲家になることを既に予感していた。」という記述に想いを馳せ、言わば「幼児オリヴィエに注ぐ2つの眼差し」、即ち母Cécileの深い愛を心に留め、反芻してみようと思います。
末筆ながら、本日は本当におめでとうございます。
2019年12月10日 25h10 赤坂樹里亜 拝